末の松山

「末の松山」とは、平安時代より歌人に親しまれたみちのくの代表的な歌枕。所在地については諸説あるが、この多賀城市八幡説が最も有力。
江戸時代には松尾芭蕉が訪れ、著書『おくのほそ道』において訪問の感動を記している。
「末の松山」を詠んだ有名な作品は、小倉百人一首42番の清原元輔の歌。
『ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは』
吉田東伍の研究によると、この歌は「末の松山」を貞観津波の波が越えなかった事を示しており、それが歌枕として詠み継がれている理由ではないかと推測されている。東日本大震災の際も、大津波は「末の松山」を超えなかったという。