八ツ面山雲母坑跡

★★★★☆
八ツ面山で産出する雲母は、八世紀より朝廷に献上されていたと記録されており、この雲母(きらら)は吉良(きら)荘の名称のもとになったと言われている。
この場所で雲母が産出するのは、領家変成岩で構成される八ツ面山に白雲母を含む岩脈が通っているためで、坑道は岩脈に沿って掘られている。
雲母は、古くは婦人病や頭痛の医薬として、江戸時代には屏風や襖の装飾材料として京都に出荷された。
明治になっても採掘は続けられていたが、明治三十三年の事故から採掘は中止され、昭和六年に子供の転落事故を受けてそのほとんどが埋め戻された。
西尾市教育委員会作成の案内板より)